降田天氏の「偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理」は、第71回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した作品である。
『逢坂剛&大沢在昌 絶賛!』『あなたは5回、必ずだまされる』と帯に書かれているため、それはおもしろいはずだろうと思い、読みはじめたのだ。
ということで、あらすじと感想を書いていく。
【「偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理」の目次】
- 鎖された赤P5〜
- 偽りの春P63〜
- 名前のない薔薇P111〜
- 見知らぬ親友P151〜
- サロメの遺言P211〜
鎖された赤
冒頭は、主人公の「僕」が交番へ向かって歩いているのである。
とりわけ「街頭犯罪対策実施中」と書かれた看板の脇に立つ警官の姿は、僕の足を鈍らせるのに充分な威圧感を備えたいた。
こんなふうに感じるのは、もはや僕が善良な市民ではないからだろう。
僕は少女を誘拐し、神倉市のある場所に監禁している。P7
ここで現在が終わり、これまでの出来事が語られる。祖父は祖母とふたりで暮らしていたが、祖母が数年まえに他界する。
そして昨年、祖父は認知症の症状が出はじめたため、介護施設に入った。その結果、祖父宅が空き家になってしまったので、「家の様子をたまに見に行ってくれ」と父に頼まれたのである。祖父宅の敷地に土蔵があることを知った主人公は、以前からの欲望を満たすためにそこを使うことにした。
その欲望がいつから僕の中にあったのかはわからない。
狭く薄暗い部屋。赤い着物に身を包んだ少女。大事に世話をする男。
たぶん幼いころにテレビでそんな映像を見たのだろう。P7
少女を誘拐して土蔵に監禁し……大事に世話をしようと……だが、あるトラブルが起きてしまう……その結果、警察を利用することを思いつくのだが……というあらすじなのである。
犯人がマヌケすぎる。『飛んで火に入る夏の虫』『油断大敵』である。
深く考えずに言動すると、こういうことになるよね……ということを教えてくれる作品!
偽りの春
高齢の男性をターゲットにした詐欺を始めてから、そろそろ二年になる。詐欺グループのメンバーは女が四人、男がひとりで、女は全員が還暦を超えている。やり口としては、結婚詐欺や美人局ということになるだろうか。
ターゲットの選定は私の役目だ。それこそが詐欺において最も重要な行程だと、かつて振り込め詐欺に関わった経験から知っていた。電話をかける対象の名簿が、電話帳なのか高級旅館の宿泊客リストなのか、さらに資産や年齢や家族構成によってふるいにかけられたものなのかで、成功率も利益も大きく変わる。その点、派遣キャディという私の職業は、適当な男を見繕うのに都合がいい。どこのゴルフ場でも、明るい芝生の上で開放的な気分になった男たちは、情報をいくらでも垂れ流してくれる。P67
老老詐欺に手を染めている女性が主人公である。そして、1か月ごとに5人で等分にするというルールだったが、1000万円ほどの金を仲間に持ち逃げされる。
あげくの果てには、主人公の家のポストに脅迫状が投函され、『これまでのことを黙ってほしければ、1000万円を用意しろ』と要求されるのだった。詐欺師の仲間たちは、自宅の場所を知らないはずである。犯人は、金を持ち逃げした元仲間なのか、それとも残ったほうの仲間なのか……。
主人公はひとりである罪を犯し、1000万円を用意することにした。計画は見事に成功し、その帰り道バスを待っていると……パトカーがやってきて警察官に声をかけられるのだ。顔色がよくない、と言われ……最終的には、自宅まで送っていく、と言われてしまうのである。
罪を犯した直後だったため、警察官に関わりたくなかったが、かたくなに断ると怪しまれるのでパトカーに乗ることにした……その結果……これ以上は未読の人のために書かないが、読了したとき、「なるほど!」となるはずである。
名前のない薔薇
お仕事はと訊かれたら、自営業と答えることにしている。フリーランスの技術職と言うこともある。若いころは正直に泥棒だと言ってみたりもしたものだが、誰も信じなかった。かといって冗談として笑うには、俺に陽気さが足りないらしい。P113
主人公の「俺」は泥棒である。事故に遭って入院した母に会いに行ったある日、看護師の理恵という女性に出会う。その女性は、どうやら自分に特別な好意を抱いているらしい。
だが理恵とどうにかなるなんてことを、本当には望んでいない。俺は泥棒なのだ。今さらまっとうな職に就けるとも思えないし、そうしたところで逮捕歴は消えない。P116
好意を抱かれていることを確信した主人公は、決断するのだった。明日、東京に帰ること、そして二度と会わないこと、そのふたつを伝えると、
「……なんで?」
「俺は泥棒なんだ。前科もある」
嘘をついたり、関係をうやむやに終わせたりするのは、不誠実な気がした。だがそれは自己満足にすぎなかったのかもしれない。
理恵の面にはっきりと傷ついた表情が浮かび、俺はうろたえた。
「あたしのことが迷惑なら、そう言えばいいのに」
「嘘じゃない!」
「しつこくしてごめんなさい」
「俺は本当に……」
「もうやめてよ!」P117〜118
まったく信じてもらえず、最終的にこう言うのである。『証明できる。君が望むものを何でも盗んでくるよ』と……そして女性にあるものを盗んできてほしいと言われた主人公は、女性が自宅の一室で寝ているときにこっそり侵入し、盗んだそれを置いて東京に帰るのだった。
東京にもどった数週間後、民家の現金を盗んで逮捕され、4年の懲役刑を受ける。
そして出所した4年後のある日、理恵の現状を知ることになる。『美人すぎる園芸家 浜本理恵』としてテレビや雑誌にでていることを……。
看護師だった女性が、どうして『美人すぎる園芸家』になっているのか……あの盗んできたものが関係しているのか……という物語である。
見知らぬ親友
「あー、美穂ちゃんってば、聞いてなかったのにおかしいふりをしたでしょ。あのね、今……」
隣に座った夏希が目ざとく気づき、屈託のない大きな声で説明する。わたしは気まずくなって、手に取ったコップに視線を落とす。なんでわざわざそんなこと指摘するの。愛想笑いを浮かべた頬が引きつりそうになる。P153
主人公の「わたし」は、神倉美術大学の4年生である。絶対に知られたくない秘密を夏希に知られた結果、奴隷のような生活をしているのだという。
わたしは奴隷のまま、夏を耐え、秋を耐え、冬を耐えた。やはり奴隷のまま四年生になり、卒業制作に取りかかる時間を迎えた。P160
そんなある日、夏希が駅のホームにいたところ、だれかにつき飛ばされて線路に落ち、怪我をして入院することになった。つき飛ばした犯人は、「わたし」ではない。しかし警察に疑われることになり……。
「わたし」の気持ちは痛いほどわかる。嫌いな人が何をやっても、いいように受けとることはできない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいなことである。
サロメの遺言
テーブルに突っ伏したエミリの首筋を、蛍光灯の冷たい光が照らしている。ぴくりとも動かなくなって、もう十分くらいはたっただろうか。それともほんの数十秒か。こぼれたアイスティーがテーブルの端から滴り、ぽた、ぽた、と切れ切れの音を立てている。砕けたガラスのように氷が散らばっている。
俺は向かいの椅子にへたり込んだまま、そろそろと細い息を吐いた。P213
エミリはアイドル声優、「俺」はライトノベル作家である。アイスティーに混入していた毒物を飲んだ結果、エミリは絶命した。そして主人公は証拠を消し去り、その場をあとにするのだ。
しかしすぐに警察の家宅捜索を受け、青酸カリが発見される。「俺」は逮捕されるが、なにやら企んでいるようである。黙秘をつづけたすえ、このように言うのだ。
「狩野雷太を連れてきてくださいよ」
「なんですって?」
父の取り調べを担当した刑事の名を、俺は突きとめていた。
「神奈川県警の元刑事で、今は神倉駅前交番に勤務している狩野雷太です。彼となら話してもいい」P230
「俺は狩野雷太を指名したはずですけど?」
「代理で私が話を伺います」
「代理ねえ。それじゃ話す気にはなれないな。あ、じつはそのマジックミラーの向こうで様子を見てたりしません?」
「どうしても狩野でないとだめですか」
「会ってみたいですよ、狩野雷太に。人を殺した刑事。しかも殺されたのは俺の父親。作家としてすごく興味があるんです」P231〜232
人を殺した刑事……狩野雷太……「鎖された赤」では、
狩野は愛想よく僕を迎えた。にこにこ、というより、へらへらしている。表情にも口調にも締まりがなく、制帽から出ている髪が警官にしては長い。そこそこ顔立ちが整っているせいもあってか、どこか軽薄な印象を受ける。P38
「八王子なら通学圏内だろ。わざわざ横浜にマンション借りて、週末はフレンチレストランでディナーとは、優雅だねえ。きみみたいな子は、窃盗とか振り込め詐欺なんかとは無縁だろうな」
ひがんでいるのでなければ、ばかにしているのだろうか。顔を上げると、狩野は反応を楽しむようににやにやして僕を眺めている。P41
さらに「偽りの春」では、
パトカーはバス停の近くに止まり、助手席から警官が降りてきた。
「おばさん、具合悪いの?」
三十代、いや四十代か。警察官にしてはやや髪が長く、表情にも口調にも締まりがない。
「いや、大丈夫です。ちょっとめまいがしただけ」
「それ、大丈夫じゃないよ」
P87
やたらなれなれしく、軽い感じの男なのである。「俺」が主張するように、狩野雷太は人を殺したのだろうか……読者は見事な伏線におどろかされることだろう。
ミステリーが好きな人であれば、知っているはずである「あれ」のこと、その矛盾点に気づけなかったのはかなり悔しい。きっと楽しめるはずである。
コメント