児童養護施設を卒園する間際、自分の生い立ちを園長先生に教えられ、母親がある事件の被害者だということを知る。下記の引用文が、そのときの心理描写である。
顔も憶えていない母親に、いまも昔も僕は、はっきり言って何の感情も抱いていない。園長先生に教えられた母の人生が、どんなに惨めであっても、母がどんなに可哀想な人だったとしても、それは変わらない。僕が取ろうとするのは自分自身の仇だ。園長先生の話を聞きながら僕が抱いたのは、あったかもしれないもう一つの人生を、この僕から奪い去った男への恨みだ。いまの人生と、どちらがより良かったか、どちらがよりまともだったかなんて関係ない。僕は自分から何かを奪う人間を許さない。
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ふつうの人間とは?
どのような人がふつうなのだろうか。どのような人が異常だったり特別だったりするのだろう……。
なにを基準にし、ふつうであると判断しているのだろうか?
スケルトン・キーはサイコパスを題材にしているが、サイコパスと、そうでない人のちがいは判然としているのか……。自分ではふつうだと思っていたことがふつうでなかったり、少数派だと思っていたことが多数派だったりするのである。
人はみな、狂っているのかもしれない。この小説を読むと、そのことを気づかせてくれるのだ。読後感は悪くなく、だれでも手にとりやすい内容になっている。そのため、おすすめできる作品である。
週刊誌記者のスクープ獲得の手伝いをしている僕、坂木錠也。この仕事を選んだのは、スリルのある環境に身を置いて心拍数を上げることで、自分の狂気を抑え込むことができるからだ。最近は、まともな状態を保てている。でもある日、児童養護施設でともに育った仲間から電話がかかってきて、日常が変わりはじめた。これまで必死に守ってきた平穏が、壊れてしまう―僕に近づいてはいけない。殺してしまうから。あなたは死んでしまうから。
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