『罪と祈り』は、貫井徳郎氏の2年ぶりの最新長編である。貫井氏の作品を読んだことがない人や、あまり知らないという人は下の記事を参考にしてほしい。

ということで、あらすじと感想を書いていく。
主な登場人物は下記のとおりである。
- 濱仲辰司
- (1)の息子である、亮輔
- 芦原智士
- (3)の息子である、賢剛
冒頭は、(1)の警察官OBの濱仲辰司の溺死体が発見される。
通常、溺死体はまず身許の特定で苦労する。だが今回は、事情が違った。死体発見現場に駆けつけた賢剛が、遺体の身許を認定したからだ。
言葉にならない、という状態を初めて経験した。あまりに大きな驚愕に、脳裏も視野も真っ白になる。自分の網膜が捉えているものが現実とは思えず、呼吸すら忘れてしばし固まった。ようやく我に返ったのは、『おい、どうした』と問いかけられながら肩を掴まれて揺すぶられたからだった。
『こ、これは知り合いです』P15
何者かに殴られた痕跡があることから、賢剛たちは殺人事件として捜査をはじめるのだった。
その一方、父親を殺害された亮輔の現在は、勤めていた食品輸入会社が去年倒産したため無職である。そして、父親が殺害されたことを知り、「だれかにうらまれていたから殺されたのだ」という答えにたどり着き、独自で真相を追うことにしたのだ。
亮輔と賢剛は親友である。それに、親同士も親友だった。賢剛の父親は、ふたりが子どものころに自殺している。
それからは、亮輔の父親が賢剛に対してほんとうの父親のように接してくれた。そのため、賢剛は辰司を尊敬し、おなじ警察官になったのだ。
警察官として事件の真相を追う賢剛と、息子として真相を追う亮輔……しかし、父親たちのことを知れば知るほど、ふたりは苦悩することになる。
「親友の父親が人にうらまれるような人間だったことを明らかにしていいのだろうか?」
「親友の父親が自殺したことと、今回の事件はつながっているのではないか? だとしたら、親友の父親が自殺した理由をつきとめてしまっていいのだろうか……」
というふたりの『章』と……30年ほどまえを舞台とした、父親ふたりが登場する『章』……ふたつの『章』が交互に進んでいくのである。
父親ふたりが登場する『章』は、西浅草を再開発するための計画が持ち上がっている、というのが冒頭である。
住民たちを立ち退かせるために、不動産会社が高額で土地を引き取っているのだという。
それでも売却しない場合は、生ゴミが詰められたゴミ袋だったり動物の死骸だったりを玄関のまえに置かれるという、嫌がらせをされるのだった。
噂では、再開発を検討しているのは東芳不動産と言われている。日本屈指の有名企業だ。そんな大手でなければ大規模再開発などできないのだろうが、驚くのはその手法だった。世間に名の通った一流企業のはずなのに、いかがわしい人間を使って地上げをしている。最初その話を聞いたとき、辰司は単なるデマだと思った。大企業とヤクザが公然と連動して動くことなど、この日本ではあり得ない。日本社会はそこまで腐ってはいないはずだと、信じていた。
辰司の信頼は裏切られた。いつの間にか、日本社会は腐っていたのだ。金が、人間の品性を狂わせた。モラルを保たなければならない一流企業が、闇社会と結託している。P83
嫌がらせに耐えられなくなり、土地を売却して引っ越す人もいる。嫌がらせのせいで、流産してしまった女性もいる。そんななか、ふたりの父親はなにをしたのか……そしてふたつの『章』はどうなるのか……という物語なのである。
終始、暗くて重たい。さいごは小さな希望があるが、それでも暗くて重たいのだ。「恋は盲目」「男は敷居を跨げば七人の敵あり」「毒を食らわば皿まで」「悪友と手を切るより、仲間になるほうがどんなに楽なことか!(チャーチル)」
これらのことわざや言葉が思いうかぶ。ほかにもあるが、これから読む人の楽しみを奪ってしまいそうなので、詳しい感想を書くことを控えておく。そしてラストのところを読めば、「罪と祈り」というタイトルの意味を理解することができるだろう。
暗くて重たい話が好きな人にはおすすめだが、このような物語は苦手な人のほうが多いかもしれないな……。そう、わたしは思ったのである。
コメント